きょうは、ここまで。

みつけたり、かんがえたりするブログ。

再開力

何か大きなことを成し遂げた人は、コツコツ努力を積み重ねているパターンが多い。僕も、常にサボらず頑張れる人は本当に尊敬する。持続力とか継続力とか言われるものが大事であることは、色々な場所で叫ばれている。

 

ただ、僕は最近、何かを長く続けるにあたっては、持続力の他にも大切な力があるんじゃないかと思い始めた。今日はそれを、再開力と名付けたい。つまりは、続けていたことをちょっとサボっちゃった後に、気にせずもう一度始める力のことだ。

 

ネットやラジオのお悩み相談を見てみると、嫌という程、何かを続けられないという声が寄せられている。そして、大体その質問に対しては、毎日続けるための工夫か、もしくは黙って続けろ的な根性論が返されているように思う。

 

でもさぁ、人間、そんなに完璧じゃないじゃんか。だから、いかに続けるかを考えることも大事だけど、いかに怠けちゃっても再開できるかを考えてみたらどうだろう。その方が、ダメな自分も認めてくれる、優しい解決策な気がしない?再開力、もっと意識されてもいい気がするぞ。

 

きょうは、ここまで。

 

虚構としての映画

映画というのは、言ってしまえば虚構に過ぎない。役者が台本に従って演技しているのであって、そこで起こる事や発せられる言葉、表情は全てツクリモノだ。そして、映画を楽しむには、そういった舞台裏を意識せずに見ること、本当の出来事だと信じ、物語に入り込むことが必要だというのが通説だ。裏が見えると、冷めてしまうだろう。

 

つい先日、プロジェクトAという映画を見た。ジャッキー・チェンが主演の古いアクション映画だ。これは結構面白かったんだけど、プロジェクトAを見ている時、ふと僕は、映画に入り込んでいないことに気がついた。

 

この映画が楽しいのは、ジャッキー・チェンのことを本当の兵隊ではなく、それを演じる映画スターだと思っているからだ。本物の兵隊が命を投げ出してビルから飛び降りるのは当然かもしれないが、あのジャッキー・チェンが、生身の映画スターとして飛び降りる。そこにワイヤーはないし、ましてやCGでもない。そういう舞台裏を意識しているからこそ、この物語は虚構だと知っているからこそ、ハラハラ感が増している。

 

完璧な演技、完璧なCGによって、虚構の世界を現実として見せるのが映画の王道だろう。そしてそれは、ドキュメントとは対極にある考え方のはずだ。しかし、ジャッキー・チェンのアクション映画は、ある種のドキュメント性を帯びているように思える。本来は偽物のはずなのに、一周回ってガチになっている。

 

きょうは、ここまで。

 

ジャッキー・チェンは、NG集が本編。

ものさし

頭がいいってどういうことだろう?と、たくさんの人が頭を悩ませている。過激な人は「大学受験なんかで頭の良さは測れない!」なんて声を荒げる。で、こういう問題は、能力を測るというところにキモがあると思っている。

 

結論から言えば、そもそも測る前に何かの能力がそこにあるんだと思っていることが間違いなんじゃないかな。厳然と人の中に「頭の良さ」なる能力が先にあって、それを外から測ろうなんてのが、ナンセンス。

 

僕らが出来るのは「ものさし」を用意することだけだ。例えば、漢字テストの問題を用意して解いてもらう。そこまでは出来るけれども、点数を見て、それを漢字力とするか、暗記力とするか、もう頭がいいと言ってしまうかは、エゴで決めていくしかない。

 

極端に言えば、身長というものだって存在しない。メジャーなり測るものが先にあって、それで表せるものを身長と呼んでいると捉えるべき。能力とかいうものは、指標が先にあることで初めて定義できるし、議論できるんじゃないかな。あ、身長は、能力じゃないかもしれないけど。

 

きょうは、ここまで。

 

メジャーがなければ、僕の身長もバレないのかな。

風が吹けば桶屋が儲かる

縁という言葉が好きだ。ぽかっと急に何の前触れもなく湧き出す縁もいいけれど、どちらかと言うと、もし〇〇だったらこんなことなかったっていう縁が好み。特にここ数年は「繋がったね!」っていうことが多い。あ、今日はちょっとだけ、長いよ。

 

3年前、高校の同窓会に行った時、K君が「みんな!インターンとか行かへんのか!おい!」ってほろ酔いで叫んでいた。僕はインターンという言葉すら知らなかったけど、その日気になって調べたら、大学のホームページに募集がかかってて、一つだけ、楽しそうだから出した。締切の2分前、23時58分だった。運良く通った。

 

そこはゲーム会社なのに、プログラミングが出来ない僕を拾ってくれたのは本当にラッキーだった。ただ、すっかりゲームを卒業していた僕は、慌てて最新ゲーム機を買うことになる。ちなみに、インターンは、想像を絶するほど激しかった。ふぅ。

 

それが終わって、ちょっとゲームから離れようかと思った矢先、インクを撒き散らすイカしたゲームが出た。初めは買う気がなかったけど、発売日が僕の誕生日の前日だったもので、それにかこつけて買ってしまった。面白過ぎて狂ったようにやっていたら、しばらく疎遠だったサークルの友達C君から「ゲームの大会にチームで出よう」的な連絡が来た。

 

大会には落選したけど、大阪まで観戦に行くことになる。そして、やっと今に繋がるんだけど、その大会で出会った人たちでオフ会メンバーが出来ていて、ちょくちょく遊ぶんだ。最初は1回飲みに行くだけの軽い気持ちだったけど、最近は伏見稲荷について来てくれるぐらい仲良くなった。

 

K君が口走ったことが発端だけど、その後も、どれが狂ってもこうはならなかった。こういう出来事の連鎖って、かなり不思議で気持ちいいなぁ。

 

きょうは、ここまで。

 

あなたがこの文章を読んでいるのも、縁、だよ。

優柔不断

人生には、決断しなきゃいけない時がある。人生って大げさに言っちゃったけど、進学とか結婚とか就職とかだけじゃなく、お昼は何を食べようかとか、何を着て出かけようかとか、毎日何かを決めて生きている。そういうのが中々決められない人のことを優柔不断と言って、何を隠そう、僕も、優柔不断だ。

 

決められない時は往々にして「もうちょっと時間をちょうだい!」って言ってしまう。でも、経験上、時間が経ったからといって勝手に決まる事はほとんどない。むしろ、タイミングを逃したり、時間という大事なリソースが減って状況が悪くなる。だから、大抵は即決がいいということだ。

 

でも、まだ決めちゃダメな時もあって、例えば値段を見ずにレジに行ったらギョッとした、みたいなことだ。つまり「まだ決められない!」って言ってる時は、単にグズグズしてるだけか、必要な情報が欠けているのか、それを見極めなくちゃいけない。

 

ただ、全ての情報がいつでも手に入るわけじゃないし、そもそもどんな条件が揃ったらいいかなんて、もうそんなことは、正直わからない。だからもう、えいや!と決めましょう。バリッと決めちゃって、失敗したらそこで考えましょう、みたいなのが、いいよね。楽観でも悲観でもなく、覚悟ってことだよね。

 

きょうは、ここまで。

 

「この人となら不幸になってもいい」なんて言葉も、覚悟だなぁ。

儀式

大学の近くに、ラーメン屋がある。カウンター席しかない小さな店だ。それなのに超強力な換気扇でもって、豚骨スープの風を容赦なく吹き付けてくるものだから、歩行者はたまったものじゃなかった。今ではダクトの向きが変わって、香りは空へと吹き出されているけれど。

 

僕はそのラーメン屋がすごく好き。初めて行った時に「これこそ求めてた味や!」と病みつきになった。だけど、あまり頻繁にはいかないようにしている。健康を気にして...というわけではない。

 

正直、僕はメンタルがそんなに強くない。小さいことでクヨクヨするし、結構引きずるタイプ。それで、何かポジティブになれる「おまじない」はないかなぁと思っていた矢先、さっきのラーメン屋に出会った。

 

だから、僕があのラーメン屋に行くのは、とんでもなく辛い時や、これから大変なことが待ち受けている時。他の人からしたらただのラーメンだけれども、こういう儀式って結構効くんだなぁ。いや、効くと思っているのが大事だったりするけどね。

 

きょうは、ここまで。

 

ちなみに、さっき食べてきました。大盛りをね。

勉強

今日の話はあまり、まとまりがないけど、勉強の話。塾バイトをしていると、この時期は生徒のメンタルが弱っていくのが見てとれる。受験勉強を強いられているからか「なぜ勉強しなきゃいけないんですか?」と言ってる生徒もいる。

 

哲学者、鷲田清一さんの講演会に参加したとき、世の中を「なくてはならない」「あったほうがいい」「ないほうがいい」「あってはならない」に分けたら...という話を聞いた。勉強は、この中でいうと「あったほうがいい」程度のことだと、僕は思っている。「なくてはならない」なんていう、肩ひじ張ったものではない。だから「なぜ勉強しなきゃいけないんですか?」という問いが、ナンセンス。

 

ちなみに高校時代、漫才の相方に勉強の意味を聞いたら「女子と喋れるから」と即答した。「お前、勉強が無かったら、好きな子と何を話すねん?相手の好きな物を探るためには、まず話しかけなアカン。同世代みんなが共有している、唯一の話題が勉強なんや。俺はな、テストどうやった?って話しかけられるだけでええねん」だって。

 

個人的に塾の生徒を見ていると、勉強の出来ない生徒は、自分を褒めるのが下手な気がする。課題を頑張ってるのに「あと30ページもある...」と言いながら、すでに終わった20ページの事を見ていない。好きでもないのに、20ページ頑張ったのは、褒めていいと思うよ。

 

きょうは、ここまで。

 

ゲームも勉強も同じくらい面倒なんだけど、ゲームはちゃんと褒めてくれるから、続くね。