きょうは、ここまで。

みつけたり、かんがえたりするブログ。

巨人の肩に立つ

バイトをしていると「なぜ勉強しなければいけないんですか」と生徒に聞かれる。きっと誰もが一度は抱く疑問だろう。僕は勉強が義務だとは思っていないので「やらなくてもいいよ」と言ってしまうけれど、何かを学ぶこと自体は、かなり価値のあることだと思っている。

 

勉強はいわば、口寄せの術のようなものだ。勉強ができるということは、世の中に転がっている情報を正しく理解し、正しく使えるということに他ならない。それはまるで、直接会うことが出来ない死者や遠くに住む人を呼び出し、アドバイスを貰っているようなものではないだろうか。

 

数学を学べば歴代の天才数学者達が複雑な問題に答えを出してくれるし、歴史を学べば過去数千年に渡る人類の成功と失敗から数々の教訓を得られる。学ぶということは、遊戯王で死者蘇生を無限に使いまくっていることなわけで、つまりチーターなのだ。現代人が建物を建て車を走らせ政治を回せているのは一重に、巨人の肩に立っているからである。

 

さて、学力と並んで重視されるのがコミュ力だ。学力が「会えない人」に協力してもらうための力だとすれば、コミュ力は「会える人」に協力してもらうための力だと言えるだろう。人間、一人では大したことは出来ないが、学力とコミュ力があれば、文字通り百人力なのだと思う。

 

きょうは、ここまで。